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十三アラカルト

「十三往来」読み下し 市浦村史第弐巻より

 それ天竺は王舎城、震旦は長安城、我が朝は平安城、三国相応の都なり。

 ここに親近(まのあたり)奥州津軽十三湊は新城において肩をならぶる城郭は、坂東よりあるべからず。この城郭は方八十町、柵を築き(めぐ)らし、内には面々要害を構ふこと莫大なり。外より見れば明白なり。樊噲(はんかい)養由(ようゆう)の勇を(なす)とも(たやす)く弓を引き、 打物(うちもの)取りて向かひ難し。その外景物多き事八景に過ぎ、十景と言ふべし。

 東山の野沢は渺々(びょうびょう) たる牧なり、数千匹の馬ども()鹿(ろく)を交へ、思々(おもいおもい)の勇をなし、心々に遊び行く風情を見るに、誠に希代の景物なり。

 南は湖水濃々として月水底の暗きを照らす。青波静にして漁浦の便あり。遥に巖木の嶽を見れば、花は残雪に交て遠眼を興じ、谷を出ずる鶯舌(おうぜつ)は聞くに依りて近し。雲霞麓に(たなび)き、 山の(いただき)高くして大空に顕わる。(まことに)富士山に(あらそ)ふ程の名山なり。

 西は滄海(そうかい)漫々として夷船京船群集して艫先を並べ(へさき)を調ふ。湊は市を成す。又浜の大明神の社堂を拝し奉れば、甍を並ぶる玉籬(たまがき)立囲(たちかこ)み、神殿の床十四丈に(おごそに)にす。遠く鳥居を立て、その間に切石を畳みて瑠璃の扉に異ならず。この明神の本地を訪ね奉れば、東土浄瑠璃世界の教主医王(ぜん)(せい)の跡を垂れ給ふ事年久しく、十ニ大願の法界の網を海に張り、無縁の群類を救わんため瓦礫塵砂(がれきじんさ)に身を交へ、風波を海辺に担ひ、跡を垂れ給ふ事、(まこと)に悲願たのもしき霊社なり。

 北は深山連堂塔を連ね、僧坊(そうぼう)透無く、円宗(いんしゅう)の修学、禅林寺の過現(かげん)未堂(みどう)の三千仏、光明赫々(かっかく)として霊山浄土とも覚ゆらん。また竜興寺の(ていたらく)を見れば、後ろは山峨々として峯の清嵐(せいらん)梢を鳴らし、前には滝の水(みなぎ)り落ち、座禅の睡眠を驚し、阿吽寺(あうんじ)の鐘の声は諸行無常の告を成し、後夜晨朝(こうやしんちょう)(ごん)(じょう)(じゃく)(めつ)為楽(ついらく)の雲を穿つ。是れ又(しゅ)(しょう)の景物なり。

新町は棟を並べ軒を振り、数千万の家を造り、商人は売買心に任せ、民の烟は稔る。

 相内河の水清くして、許由(きょゆう)耳を洗へば、巣父(そうふ)牛を牽きて帰る。(えい)(せん)の流れに異ならず。

遥に王恵()瑠磨(るま)明神の社堂を拝し奉れば、前は海辺を望み、岩崛(がんくつ)峯に(そばだ)ち、松風颯々(さつさつ)として琴を調べ、麓は白浪花を(かさぬ)ること千片。ここに熊野の権現跡を垂れ給ふこと年久し。霊験少しも本社に劣らざる程の名山なり。

 また舘の内に羽黒の権現を崇し奉り、よろしく御神楽怠轉(たいてん)なかるべく、桝橙(しょうとう)の鼓の声は五衰の雲を消し、感応(かんのう)の月円かにして大なり、堯々(ぎょうぎょう)たる鈴の声は乱の霞に振り捨て、偏に利生(りじょう)の花鮮なり。たのもしきかな、これを礼し彼を拝すれば心肝(しんかん)を催さざるはなし。

 惣じて、この福嶋城郭は、左は青竜、右は白虎、 前は朱雀(すざく)、後は玄武、四神相応の霊地なり。


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